Caring
健やかな社会を支える努力を称える

第14回ヘルシー・ソサエティ賞 受賞者の方々の軌跡と功績を辿る4つのストーリー

「ヘルシー・ソサエティ賞」は、健全な社会と地域社会の幸せを願い、国民の生活の質(クオリティ・オブ・ライフ)の向上に貢献した人々を称える目的で、2004年に日本看護協会とジョンソン・エンド・ジョンソン日本法人グループによって創設されました。今年度も全国から寄せられた推薦候補者の中から、教育、ボランティア、医療など、さまざまな分野で指導的役割を果たし貢献する4部門4名の受賞者が決定しました。この賞をきっかけに、国民の健康、地域社会の福祉、さらに生活の質の向上のための有意義な活動が、より広く普及することを願っています。

医学教育カリキュラムの礎 「テュートリアル教育」の導入に尽力

教育者部門 和田 行男(おおさわ まきこ)  Osawa Makiko 株式会社 大起エンゼルヘルプ 取締役

和田氏は1999年から東京都初のグループホーム「こもれび」で施設長を務め、「認知症になっても、最期まで自分らしく生きていく姿を支える」を信念に、それまでの認知症ケアとは異なるアプローチに挑戦されています。入口の施錠はせず、認知症高齢者たちは家事や料理をはじめ自分でできることは全部自分で行う。その結果、多くの入居者が身体的にも精神的にも健康な状態を維持するに至っています。また、認知症高齢者が働ける場、社会とつながることができる場として「注文をまちがえる料理店」を企画。認知症高齢者が、一般的な飲食店と同じようにホール業務を行うイベントにより、認知症高齢者は社会参加が可能であることを世の中に訴求しました。和田氏の活動は、認知症に対する見方、社会のあり方について考えるきっかけを人々に与えています。

差別のあった介護業界を改革したい
パッションで同志を増やす

福祉に興味を持つきっかけは、国鉄勤務時代にあったそうですね。

和田子どもの頃から国鉄マンに憧れて国鉄に入り、車両修繕の仕事をしていました。1982年、障害を持っている人たちに列車での旅を楽しんでもらう取り組みが始まりました。組合活動の一環で、先輩から薦められてボランティアで参加しました。その時に初めて福祉に出合い、これこそ僕らの仕事やなと、全国的なポジションで取り組んでいきました。駅にエスカレーターやエレベーターを取り付け、障害者用トイレを設置する運動をし、障害を持っている人が街に繰り出すことについて色々学ばせてもらいました。1987年、国鉄民営化に伴い退職し、特別養護老人ホームで働くことになりました。それから31年です。

福祉業界に移られて、どんなことが大変でしたか?

和田僕は子どもの頃から差別に強い嫌悪感を抱いてきました。貧困による差別、出身地による差別、そして組合運動で目にした思想差別などです。福祉の世界はそんなことはないというイメージがあったんですが、実際には、認知症というだけで人を人とも思わない差別をしていました。しかも専門職の人が選別するんです。「福祉よ、お前もか」と、がっかりしました。当時は、認知症になれば普通の生活とかけ離れた状況で管理されるのが当たり前の時代で、本人にとって意味のある行動も徘徊問題行動とされ、施設内はすべて施錠、ベッドや椅子に拘束されるケースもありました。僕は認知症でも人間らしい普通の生活ができるはずだと大きな疑問を感じました。そして、福祉はこれからの業界なので、僕でも何かできることがあるかもしれないと取り組むようになったのです。

その後、東京に移られ、社会福祉法人や医療法人でキャリアを積まれます。どのように仲間や理解者を増やしていったのですか。

和田「一方的にしてあげる」介護ではなく、その人に必要なことを支援するのが大切というのが僕の考え方です。デイサービスで働いている時にも、「これは違うな」と思うことは多々ありました。だけど、トップリーダーにならないと施設の方針を変えることはできないとわかっていましたから、目の前のできることを少しずつ修正しようと一生懸命やっていました。そうしたらそれまでのリーダーが、引き上げてくれたんですね。考え方の違う同僚には、自分の想いを、しゃべって、しゃべって口説きました。朝5時まで話したことも一度や二度ではありません。人を説得するのは技じゃない。パッション、熱意、それに理屈だと僕は思います。そうやって同志ができ、デイサービスを大きく変えることができたんです。働き始めた時からおかしいと思ったことを、種を蒔くように修正してきたのが一気に実を結んだのです。

1999年から東京都初のグループホーム「こもれび」で施設長を務められ、それまでの認知症ケアとは異なる様々なアプローチに挑戦していかれますね。

和田「こもれび」では、入居者が掃除や洗濯をし、買い物に行って、料理をしていました。認知症は全部できなくなっているわけではないので、「僕がそばにいてあげるから、できることは自分でしようね。やれないことはサポートしてあげるから」というスタンスでやっていました。介護業界では、入居者をお客さんのように扱い、上げ膳据え膳してしまうけれど、それではできることもできなくなってしまう。今回、パイオニア部門賞をいただきましたが、僕は世の中から見たら普通のことをやっているだけです。

「お互いさま」精神で
介護の世界も世の中も面白く

転職されて31年経ち、世の中も福祉も変わったと思います。振り返っていかがですか。

和田介護業界の根っこは変わっていない。いまだに「介護は施しで、やってあげる」のが基本です。だからロボット、外人でいいという話になる。ただ絶対数でいうと、「必要なことを見極めて、必要なことだけに支援の手を出す」人は増えたと思います。一番変わったのは市民。認知症に関して疎外していく感覚は市民のほうは無くなった感がありますね。一昨年、グループホームの外に出た入居者が交通事故で亡くなったのですが、おまわりさんが「認知症の人にも人権があるしな」と言ったのには涙が止まりませんでした。以前なら、閉じ込めておかないから交通事故に遭うと非難されたはず。市民の間では、認知症になっても街の中で暮らしていこうという風が吹いている気がします。

自立的で寛容な社会が近づいているのでしょうか。

和田僕は、寛容や受容という言葉が好きではないんです。大事なのは「お互いさま」という感覚でしょう。どんなに功績のある人でもミスもすれば、ズルもする。「お互いに人間として含みあいながら行こうぜ」というのが僕の中にはあります。NHK「プロフェッショナル 私の流儀」の取材でディレクターの小国士朗さんと知り合って、面白いお好み焼き屋へ連れて行きたいと話したんです。店のお母ちゃんが注文を聞いてお好み焼きを焼くんだけど、お母ちゃんは「ところで、あんた何やった?」って繰り返し聞くんですよ。そのたびに、お父ちゃんがお母ちゃんを叱る。でもお父ちゃんの方は計算ができなくてお勘定を間違えるんです。一生懸命やっているから受け止められるんですね。注文と違うものが出てきても、腹も立たないんです。そういう流れの先に、認知症の人が働く「注文をまちがえる料理店」のイベントが実現しました。喜劇よりも愉しいですよ。認知症は世の中を変える、そう信じています。

和田 行男(わだ ゆきお)
株式会社 大起エンゼルヘルプ 取締役

大阪府立今宮工業高校機械科卒業。1974年4月日本国有鉄道大阪鉄道管理局入局車両修繕に従事。1987年より介護福祉士に転身。以後、特別養護老人ホーム寮父・生活相談員などを経たのちに認知症高齢者グループホーム施設長へ就任。2003年より現職である株式会社大起(だいき)エンゼルヘルプ入社。入居・通所事業部ならびに地域包括事業担当部長として事業所を統括、施設の設計から開設まで新規立上げ等を担当。2010年には認知症介護施設 株式会社波の女(なみのおんな)の立上げに役員として参加。長年にわたり認知症ケアについて新しいアプローチを開拓し認知症高齢者のQOL(生活の質)、ADL(日常生活動作)の向上に貢献するとともに、書籍の執筆や自身が企画したプロジェクト「注文を間違える料理店」など認知症の理解を深める活動を行っている。

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