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笑顔のそばに

ボランティア部門(国内)

「後縦靭帯骨化症」で4度の大手術と過酷なリハビリを乗り越えて、難病医療の枠を超えた地域福祉向上のための活動する増田靖子さんのストーリーです。

和と輪を広げるサポート活動

難病と向き合い、仲間に支えられながら

ボランティア部門(国内) 増田 靖子(ますだ やすこ) Yasuko Masuda

全国脊柱靱帯骨化症患者家族連絡協議会 会長 一般財団法人北海道難病連 専務理事

President, Zensekituuren Executive Director, Hokkaido Nanbyoren

増田氏が自身の体の異変に気づいたのは44歳の時でした。自力では全く動けなくなった頃に辿り着いた札幌の総合病院で「後縦靭帯骨化症」と診断されます。脊柱管の中の靭帯が骨になり脊髄を圧迫して手足、体幹の麻痺や痛み、しびれを起こす難病で、当時、すでに増田氏の症状は重く、すぐに手術が必要な状態でした。
増田氏は治療のために4度の大手術を経験。最初の手術後は、必死のリハビリの結果、杖歩行ができるまでに回復したものの、症状は次第に深刻化していきました。痛みのせいで寝ることも食べることもできない日々が続き、4度目の手術を受けた後も、体を支える筋肉を鍛錬するためリハビリは過酷を極めました。

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講演会にて演説する増田氏

どれだけ泣いたか分からない日々の末、少し笑顔を取り戻し、患者会の活動に希望を見出しかけていました。それでも消えやらぬ苦悩の中、転機が訪れたのは、知人の紹介で出会った米延医師にセカンドオピニオンを依頼した51歳の時でした。この診察により、「与えられた道をしっかり生きて行こう」と思いを改めたといいます。このことがきっかけで、再度リハビリに励むようになっただけでなく、周囲に恩返しがしたいと、闘病中に支えとなった「北海道脊柱靱帯骨化症友の会」などの活動に以前にも増して参加し、2010年に同友の会会長に就任しました。医療過疎地域にて「家庭でできるリハビリキャラバン」を開催するなどの活動に尽力しています。

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講演会参加者と共に

現在の活動は広汎です。2012年には国との連絡・交渉窓口となる「全国脊柱靭帯骨化症患者家族連絡協議会(全脊柱連)」の会長に選任され、全国の骨化症家族会の活性化を図りながら、「一般財団法人北海道難病連(難病連)」の活動も積極的に行いました。また、北海道難病センター内に気軽に立ち寄れる団体交流スペースを開設することで、患者さんや患者団体間のオープンな交流を可能に。さらに、子どもの難病支援に関して、2015年、研究者と共に自立支援員研修会を道内で開催し医療、福祉、教育関係者と現状と今後の課題を共有しました。難病連が主導する全国で初めての会でしたが、従来の子ども難病支援の枠を破り、小児・成人の垣根なく難病連全体が取り組むという仕組ができました。

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全脊柱連会長としては、専門整形外科医・脳神経外科医と連携・協力し、脊柱靭帯骨化症に関する情報収集や、患者さん・医療者・一般社会への情報発信、医療講演会などを通して啓蒙活動も行っています。特に、病気の原因や治療法の究明には研究側と患者団体が「車の両輪」となった体制を作り上げていくことが必要と考え、厚生労働省が行う調査研究活動に積極的な関わりをもち続けています。 増田氏は、患者団体の活動には同じ病気の患者さん同士が集まり、励まし合い、和み合う「和」と、患者さん同士が同じ目的に向かってつながり、元気の源になるための「輪」が必要だといいます。今日も間断なく迫りくるしびれ、痛み、体幹機能障がいに苦しみながらも、さまざまな課題に取り組んでいく増田氏のエネルギーあふれる活動の発展が期待されます。

プロフィール
1959年北海道大樹町生まれ。44歳で脊柱靭帯骨化症の一つである後縦靭帯骨化症を頸、胸、腰に発症。腰椎、胸椎の一部を切除するなどの大手術を受ける。いずれの手術後も厳しいリハビリに苦闘。闘病中に北海道脊柱靭帯骨化症友の会と出会い、2010年に同会の会長となる。2012年に全国脊柱靱帯骨化症患者家族連絡協議会会長、2015年には一般財団法人北海道難病連専務理事を兼任し、難病医療の枠を超えた地域福祉向上のための活動として、北海道全土の医療過疎地域に赴き「家庭でできるリハビリキャラバン」を開催。また、厚労省の脊柱靭帯骨化症の研究に積極的に協力し、創薬の可能性を開くなど臨床医学研究に貢献している。

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