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ストーリー
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TOMODACHI J&J災害看護研修プログラムインタビュー

TOMODACHIプログラムとは

TOMODACHI J&J災害看護研修プログラム

災害看護を学び伝え広める 研修プログラムの支援へ

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東日本大震災の直後、炊き出しや瓦礫の撤去からスタートした被災地への支援活動――。ジョンソン・エンド・ジョンソン(以下J&J)は「我が信条(Our Credo)」の理念のもと、資金面の支援活動と社員によるボランティア活動の両面からの取り組みを積極的に推進し、被災地の人たちに寄り添った活動を実施。
この活動を通じて、支援物資の供給や災害支援奉仕など復旧・復興に必要な活動に加え、被災地が未来に向かって歩んでいくために必要な取り組みがあることがわかりました。

ヘルスケアを核とするからこそできる取り組みにより、被災地の未来を創造するサポートの重要性を、あらためて知ることになったのです。
そうした中、J&Jは、米日カウンシル-ジャパンと在日米国大使館主導の官民パートナーシップ「TOMODACHIイニシアチブ」と協働し、東北大学で地域医療に携わる菅原準一教授の協力を仰ぎながら、“今後の復興支援に何が必要か”議論を重ねました。それをもとに、看護学生の災害看護を含めた能力育成とリーダーシップの強化を図る、教育支援を構想。2015年から3年間にわたる「TOMODACHI J&J災害看護研修プログラム」の支援がスタートしたのです。
研修プログラムは事前研修、米国スタディツアー、ツアー終了後の報告会による3部で構成しています。
初年度となる2015年は、宮城県内から8名の看護学生に加え、メンターとして仙台医療センター附属仙台看護助産学校の教員も選出しました。
米国の災害看護を学び、震災体験などを伝えることで、看護師の役割をあらためて考えてもらうと共に、被災地の人たちに寄り添う“こころのケア”について互いに理解を深めていく――。
帰国後は、米国で得た学びや経験を日本国内で伝えていくことで、看護領域での復興支援、災害看護の普及とさらなる発展に貢献することをめざしています。

TOMODACHI イニシアチブ

http://tomodachi.org/ja/

TOMODACHIイニシアチブは、東日本大震災後の復興支援から生まれ、教育、文化交流、リーダーシップといったプログラムを通して、日米における次世代のリーダーの育成を目的としている公益財団法人 米日カウンシル-ジャパンと東京の米国大使館が主導する官民パートナーシップです。
日米関係の強化に深く関わり、互いの文化や国を理解し、より協調的で繁栄した安全な世界への貢献と、そうした世界での成功に必要な、世界中で通用する技能と国際的な視点を備えた日米の若いリーダーである“TOMODACHI世代”の育成をめざしています。

震災に遭った体験があるからこそ 今の想いを未来へつなげたい。


―災害研修に参加した2名の想いとは―

*2015年当時の参加者インタビューです

  • 石巻赤十字看護専門学校
    宮川 菜津美 さん
    出身地:宮城県仙台市

兄を支えたい――その想いが看護師の道に

「父と母は真っ先に、兄の人工呼吸器に必要な電源を求めて必死に探し回り、私は避難所となった母校の中学校で水を運んだり、トイレ掃除をしたり、食事を配ったり、おじいちゃんやおばあちゃんに寄り添ったりと、自分ができることをひたすらにしました」。現在、石巻赤十字看護専門学校2年生の宮川菜津美さんは、震災当時をこう振り返ります。幼少の頃から人工呼吸器を必要とするお兄さんを見て育ち、「兄を支えたい」との想いから看護師を志すようになりました。
中学校の卒業直後に震災を経験した宮川さんは高校卒業後、看護師をめざすために石巻赤十字看護専門学校へ入学。2年生になり実習などで毎日を忙しく過ごしていたある日、担任の先生から災害看護研修プログラムを紹介されたのです。「災害に取り組む赤十字看護師や国境なき医師団の姿に憧れていたので、迷うことなく応募しました」。

迷ったら自分からトライする、その気持ちを大事にしたい

その後、審査選考などを経て米国スタディツアーに参加することに。実際、米国で災害看護に関連する施設や人物を訪問していろいろな話を聴き、帰国後の報告活動を通じて、“とにかく迷ったら、トライする気持ちがとても大事”であると学んだ宮川さん。また、米国で起きた同時多発テロやハリケーン・サンディーなどの知識もほとんどなく、このツアーに参加したことをとても反省したと言います。「わからない、知りたいと感じた時は事前に調べて勉強しておかないと、受け身では知識が身につかないと痛感。これからは、常に自分から主体的に取り組むことを心がけていきます」。

J&J米国本社の訪問では、看護師の資格を持つ社員の話を聴き、キャリアの広がりを実感。また、国立看護学生協会の学生と出会い、学生自らが支部を運営し、リーダーとなる方法や看護に 関する知識を深めていることを知り、とても刺激を受けました。スタディツアーから戻った宮川さんは、自身が通う学校でも体験や学びを仲間に共有しました。森岡薫副学校長は「宮川さんは以前から何事にも前向きに取り組んでいましたが、自分の目標が明確になったようで、さらに積極的に授業や実習に励んでいる印象があります」と語っています。
プログラムを終え、宮川さんはこう語ります。「宮城県内の看護学生を選んでいただいたおかげで、今回貴重な経験ができました。この経験を東北に、社会に還元していきたい。そして看護についてきちんと勉強して、次に災害に遭った時は避難所で傷病の人たちをしっかりと看護したいと思っています」。

  • 独立行政法人 国立病院機構
    仙台医療センター附属
    仙台看護助産学校
    三浦 万里 さん
    出身地:宮城県仙台市

震災時も妊婦と乳児を守る姿に感銘を受けて

「ライフラインが途絶え、寒さに震えながら真っ暗な中で家族と身を寄せ合って眠ったことはいまでも鮮明に覚えています」と震災直後の様子を振り返る、当時高校生だった三浦万里さん。放映が再開したテレビから目に入ってきたのは、恐ろしく大きな津波や変わり果てた沿岸の町、避難所で不安や恐怖に打ちひしがれた人たちの姿でした。
そんなある日、テレビを見ていると震災当日に生まれた新しい命と、それを支えた助産師の活躍する姿を目にしたのです。「分娩時に医療器具が倒れないようにして、産婦と赤ちゃんの命を守った助産師の姿に強く胸を打たれました」。看護師として働くお母さんの影響もあり、以前から看護職に憧れていたものの、“助産師になりたい”と率直に思えたのはこの時でした。高校卒業後は、“科学的根拠をもとに知識を深めて、患者さんに寄り添う”という理念にひかれ、仙台医療センター附属仙台看護助産学校へ入学。当初は実習で出産現場に立ち会うと妊婦の必死な姿や張りつめた雰囲気に圧倒されるだけでしたが、いまではそうした現場にも慣れ、出産する妊婦の力になりたいと思えるようになったと言います。
そうした中、校内の掲示板に貼り出されていた災害看護研修プログラムの応募要項が目に留まり「米国に行って、先進的な災害看護について勉強できる機会は滅多にないこと。ぜひこのチャンスを掴みたい」と思い応募。加藤京子副学校長は希望する3年生に対し、実習への取り組み、就職活動や国家試験の勉強などで忙しい中、米国研修や報告活動等、参加者に求められる責任を全うする覚悟があるかを確認しました。それでも三浦さんの意思は揺らぐことなく、審査選考などを経て米国へ。

米国で得た学びや経験を多くの人たちに伝えたい

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スタディツアーで最も印象に残っているのは、同時多発テロで子どもを失った遺族の言葉でした。「初めは知り合いの人たちが慰めに来てくれても放っておいてほしい、独りにしてほしいとの想いが強く、気持ちの整理がつかず独り自宅で閉じこもっていました。それがある時から同じ体験をした人たちと交流し、自分から意見を発するようになって気持ちがしだいに癒されていったのです。」それを聴いて、適切なタイミングで自分以外の人たちと想いを共有することが大切であると実感。研修プログラムを通じて災害への対策として事前に準備することの重要性も学んだと言います。「災害に遭った時にどう行動するかを事前に認識しておくことは、医療関係者だけでなく一般の人たちにも大事なことと強く感じました」。こうした想いが、報告会で発表したテーマ「事前準備の重要性」にもつながっています。

三浦さんは、このプログラムに応募していなかったら、“もっと学んで自分自身を高めなくては”と危機感を持つことはなかったと思い返します。「テロで被害を受けた遺族に会うことがなければ、“遠いところでの出来事”で終わっていましたが、実際に当事者の話を伺い状況を知ることで、“災害対応の根本には共通点があり、私にできることは何か”を考えるようになるなど、いままでにない視点が広がりました。この研修で学び、経験したことは災害対策への事前準備も含め、もっと多くの人たちにも伝えていく必要があります。すぐには見つからないけれど、その手段を考えて実践していきたいです」。