Caring
健やかな社会を支える努力を称える

第14回ヘルシー・ソサエティ賞 受賞者の方々の軌跡と功績を辿る4つのストーリー

「ヘルシー・ソサエティ賞」は、健全な社会と地域社会の幸せを願い、国民の生活の質(クオリティ・オブ・ライフ)の向上に貢献した人々を称える目的で、2004年に日本看護協会とジョンソン・エンド・ジョンソン日本法人グループによって創設されました。今年度も全国から寄せられた推薦候補者の中から、教育、ボランティア、医療など、さまざまな分野で指導的役割を果たし貢献する4部門4名の受賞者が決定しました。この賞をきっかけに、国民の健康、地域社会の福祉、さらに生活の質の向上のための有意義な活動が、より広く普及することを願っています。

ザンビアの辺地で一人でも多くの命を救う

ボランティア部門受賞 山元 香代子(やまもと かよこ)  Yamamoto Kayoko 認定NPO法人 ザンビアの辺地医療を支援する会(ORMZ) 副理事長

2010年ザンビアでの医師資格を取り、2011年10月よりザンビア共和国の辺地での巡回診療を開始。山元氏は活動資金を調達するため、3ヵ月ごとに日本の病院で働き、当初はその収入のほぼすべてをザンビアでの活動に投じました。2012年には、有志の方々が、安定して山元氏が活動継続できるように「NPO法人ザンビアの辺地医療を支援する会 (ORMZ)」を設立し、活動が認知されるに伴い多くの支援が集まるようになりました。ザンビアでは診療以外に、ドラマグループを使ったマラリア・下痢予防などの保健衛生啓発活動やコミュニティヘルスワーカーの養成を行い、4地区で21名のワーカーを輩出しました。また、2014年にはルアノ地区初の井戸設置にも取り組み、地域住民の安全な飲料水確保を実現。その後、他地区も含めて合計19基の井戸を掘削。2017年12月までに診察した患者数は27,000名を超えました。地域スタッフの尽力もあり、マラリアによる死亡者数は激減、その貢献度は計り知れません。

へき地で、アジアで
懸命に生きる人々が幸せになる手伝いを

山元先生は自治医科大学のご出身で、最初のへき地勤務地が宮崎県椎葉村ということですが、ご自身の希望で行かれたのですか。

山元宮崎県の要請で行きました。自治医大の卒業生は、自分の出身県に戻ってへき地や離島などへ行き、卒後9年間の義務年限を果たす義務があります。椎葉村には1982年から合計で3年行きました。椎葉村は平家の落人の里で、険しい山が連なっています。田んぼで十分な米をつくることができず、畑で野菜を育て、牛を飼い、あとは日雇いで生計を立てる厳しい生活状況でした。彼らのように一生懸命に生きている一人一人が幸せになれるお手伝いができる医者になりたいと思った。それが今日の原動力です。

それからも幾つかのへき地医療に携わられ、自治医科大で博士号を取られたあと、小児科医としてWHOのお仕事でアジアへ行っていらっしゃいます。

山元WHOからアジアで働かないかと声がかかり、二つ返事で決めました。私が育った昭和30年代は、まだ戦争の影が残り、日本人はアジアでひどいことをしたと聞いて育ちました。そのため、日本人であることに申し訳ないという気持ちを抱き、アジアのために何かをしたいと考えていたのです。アジアでは様々な国の人と仕事をして戦争中の話も聞きましたが、一生懸命働き、誠心誠意向き合えばついてきてくれましたし、日本人でよかったと思えるようになりました。

アジア途上国では、感染症予防のための小児保健政策提案にご尽力されたそうですね。

山元WHOでは、IMCI(Integrated Management of Childhood Illnesses)という手法を推奨していました。標準化された教材を用いて医療従事者の研修を行い、子どもの疾病に対する適切な対処や管理をできるようにするものです。標準化された統合治療に、ベトナムならマラリア、フィリピンではデング熱など国ごとに必要な疾病を加えてテキストを作るのが私の仕事でした。カンボジア、中国、モンゴルなど様々な国へ出向き、仕事をしましたが、どの国でもWHOで働く私たちが見せてもらえるのはショーケースのような医療現場で、本当に困っている部分には接することができませんでした。

アフリカで困っている人を放っておけない
モデルとなる診療所を設立したい

ザンビア共和国での医療活動を開始されたきっかけは?

山元国レベルでしっかり腰を落ち着けて仕事をしたいと思うようになり、アメリカのNGOを通してウガンダへ行きました。ここでもIMCIの仕事をしました。ある日、郡のヘルスセンターに行ったところ、スタッフのほとんどが出かけており、人手がないため赤ちゃんが急死するのに遭遇しました。研修に出席し、出張をすると日当がもらえることもあり、ヘルスセンターは手薄になってしまいます。医療スタッフの意識の低さに情けなくなりました。いくらIMCIのトレーニングをしても生かされていない現実を知り、臨床に戻って、モデルとなる診療所を作ろうと決意しました。そして次に派遣されたザンビアで行動をスタートさせたのです。

自己資金で活動を始められたのですね。

山元診療所を設立する資金はないため、車で巡回診療する方法を選びました。2010年にザンビアで医師免許を取り、翌年から診療を始めました。当初は年間500万円の活動資金が必要なため、3ヵ月間日本の病院で働いて資金を稼ぎ、3ヵ月ザンビアで活動することを継続していましたが、現在は多くの方々の支援をいただけるようになりました。中央州チボンボ郡のルアノ、ニャンカンガ、サンダラの3地区で巡回診療をしています。ランドクルーザーに資材を載せ、準医師、助産師、看護師、運転手と共に乗り込み、朝5時に出発。途中から舗装されていない険しい山道で、ルアノまで順調に行って約5時間かかります。多い時には150人以上が診療に訪れます。1回の診療のたびに車の整備が必要で、カルテの整理や薬の調達もあり、1週間に1度行くのが精一杯です。継続できるのは診療後のスタッフと共有できる達成感のためです。巡回診療を実施しているところまでボランティアの人たちが3時間も4時間もかけて歩いてきて、受診者の体温、体重、血圧を測ったり、患者の誘導などをします。活動を見学に来ていたある日本人の医学生が「一銭のお金にもならないのになぜ何時間も歩いて活動に参加するのか」とボランティアに聞いたところ、「香代子が頑張っていて、共に働けるのが僕らの誇りだから」と言ってくれたそうです。本当に嬉しかったです。また、無償で働くコミュニティヘルスワーカーの頑張りには頭が下がります。ルアノでマラリアのため亡くなる子どもがいなくなったのは(残念ながら2017年には連れてくるのが遅れ、一人亡くなっています)、彼らの努力と、多くの方々の支援により十分量のマラリア検査キット、抗マラリア薬が購入できるようになったからです。

山元先生は、医療活動に加えて井戸設置にも取り組んでいらっしゃいます。

山元有志と共に作った「認定NPO法人 ザンビアの辺地医療を支援する会」への多くの寄付金のおかげで、これまでに19基の井戸を掘削することができました。それまでは泥水をくみ出して、泥を沈めた上水を飲む生活だったのです。最初にルアノ地区で井戸を掘った時は、奇跡だと言われました。井戸掘りのトラックが到着した時子どもたちが学校から、わーっと飛び出してきて大喜びした姿が忘れられません。

今後の展望を教えてください。

山元ムワンタヤ地区にはインド政府の援助でヘルスポストが建設され、看護師が赴任したことから、巡回診療は終了しました。ルアノ地区にもヘルスポストを作る方向で動いています。今後も、現地スタッフ、コミュニティヘルスワーカーや現地ボランティアと共に活動を継続していきたいと考えています。現在私は、ザンビアでは無給で働いていますが、後進の医師、看護師、特に若い方々は生活があるためそれは無理な話です。寄付が集まり、ザンビアへ来てくれる医師、看護師が安心して活動に参加できるようにいくらかでも報酬を支払えるようになればいいと思っています。

山元 香代子(やまもと かよこ)
認定NPO法人 ザンビアの辺地医療を支援する会(ORMZ) 副理事長

自治医科大学卒業後、宮崎でのへき地勤務などの9年間を含め、日本で15年間地域医療に従事。発展途上国での医療保健活動に関心を持ち、WHO西太平洋地域事務局医務官、JICA専門家などとして活動を行う。ザンビア滞在中にへき地医療活動の必要性を強く感じ、2010年ザンビア共和国医師免許取得。2011年10月から巡回診療を開始し、1年のうち半年をザンビアでの医療活動、半年を鹿児島県・昭南病院で内科医として働きながら現在に至る。医学博士。2015年、第43回医療功労賞受賞。

ページトップへ

このサイトは日本国内に向けて制作しております。
このサイトならびにサイト内のコンテンツは、ジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社によって運営されています。

© Johnson & Johnson K.K. 1999-2018