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メンバー紹介:2015年

メンバー紹介

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菅原 準一 (コーディネーター)

東北大学
東北メディカル・メガバンク機構
地域医療支援部門 副部門長
教授

周産期医療の専門家として、また生殖生物学や腹腔鏡下手術の専門医としても幅広く活躍する産婦人科医。2011年3月11日の東日本大震災の時には、東北大学病院周産母子センターにおいて、未曽有の大災害に対して、被災地の分娩を、母子を、守るために日夜奮闘しました。当時の経験から、最近では母子医療における災害対応・対策の考案や、大災害が母子に与えた影響の統計解析を行っています。
地域医療を担う専門家として、「津波被災地の復興は、我が国の医療過疎地域の復興へとつながっていかねばならない。また、明日への希望をもって、安心して分娩し子を育む安定したシステムを開発することは、医療過疎が問題となっている全世界の地域医療の復興・再生には欠かせない視点である」と考えています。

また、災害時に医療情報を失わず、安心安全な医療体制を整備するために、NPO法人みやぎ産婦人科医療情報ネットワーク協議会の中心人物として、産科セミオープンシステムの電子化および分娩記録の標準化プロジェクトを推進しています。さらには、基礎医学の領域において、妊娠高血圧症候群などの病態を解明することを目的に、産科領域の個別化予防・医療を開発するためにゲノム医科学を推進しています。
※菅原準一氏は、1989年東北大学医学部医学科卒業。東北大学医学部助手、米国スタンフォード大学産婦人科ポストドクトラルフェロー、東北大学病院産婦人科講師、ベルギーリューベンカトリック大学胎児治療部門研究員を経て、2012年より現職。数多くの産婦人科関連学会の評議員や理事を担当し活躍の場を広げています。


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小松 恵 (メンター)

国立病院機構仙台医療センター附属
仙台看護助産学校 教員

3.11東日本大震災と9.11アメリカ同時多発テロ事件の両方を経験。昭和59年に看護師になり、国立仙台病院(現 仙台医療センター)に就職し、脳外科病棟、感覚器混合病棟、血液内科病棟のスタッフ、副看護師長として15年間勤務。臨床で働くことに満足していましたが、平成8年に南カリフォルニア大学でのHIV/AIDSの臨床研修を経験し、海外で学ぶことへの思いが強くなりました。
平成11年に渡米し、ニューヨーク大学で英語を学びながらセントルークス・ルーズベルト病院の感染管理部門で研修を受けました。2001年に9.11同時多発テロ事件発生の際には、ニューヨークにいたため、現地で直に災害看護を経験。その後、エイズ支援のNGOに就職し、ニューヨーク州の看護師(Registered Nurse)免許を取得しました。
平成19年に帰国後、東北大学大学院医学研究科に入学し、老年保健学を専攻し在宅での看取りについての研究で博士課程前期修了。平成24年から仙台医療センター附属仙台看護助産学校の教員となり、平成26年から東北大学大学院教育学研究科教育情報学博士課程後期在学中。
この研修で、新しい世界を見て、考え、行動するであろう未来の看護職をサポートできる喜びを感じています。それぞれの思いを共有したいと考えています。


学生メンバー

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岩渕 阿椰茄

(いわぶち あやな)さん 20歳
所属:石巻赤十字看護専門学校2年
地域:宮城県石巻市

このプログラムを通して災害看護や地域看護など医療における諸問題を学び、グローバルな視点と考えを身につけ、自国へ帰り、医療従事者として活動するとき日本の医療を通して様々な場面で貢献し活躍できる人材になりたいと思い応募しました。世界の医療体制や日本と他国の医療の行い方に違いがあるのか、どのようなものなのか興味があります。
将来私は、日本だけでなく、災害の援助を必要としている国々や地域で看護師として働き、そして、今後海外で医療者の一人として貢献したいです。被災地の代表として東日本大震災発生時の様子やどんな活動・生活をしていたか、他国でも同じようなことが起きた場合どういう対策や行動をすればよいか情報を発信したいと思います。


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小野寺 奈央

(おのでら なお)さん 19歳
所属:気仙沼市立病院附属看護専門学校 2 年
地域:宮城県気仙沼市

東日本大震災で自分自身の体験したこと、そこから感じた人との繋がりや命の大切さ、そこから看護の道を志すようになったこと、震災に対する思いを、復興においてたくさん支援してくれたアメリカで、発信したいです。
アメリカの軍隊をはじめ、本当に多くの人々が震災後すぐに被災地に来て、多くの人を救ってくださり、水や食料や物資をたくさん提供していただき、津波で壊滅的な被害を受けた危険を伴う場所での行方不明者の捜索、がれき撤去と、数えきれないほど支援していただき助けていただきました。このプロジェクトで出会う人々と今後の被災地の残りの問題について話し合い、考え、そこから何かに繋げたいと思いました。
まず、アメリカの医療の実態を見たいです。自分の目で医療現場を見て、どのような人がどんな医療を提供されているのかといった具体的な状況を知りたいと思っています。私は地元の病院しか知りませんので、高度な機能を持つ病院ではどのような医療を提供しているのか、使用される機器や環境も自分の目で見たいと思います。さらに、震災後、PTSD に悩み苦しむ人が大勢いました。4 年経過する今でも私の父は津波の悪夢を見て苦しんでいますし、同じような人はきっとまだ大勢いると思います。
今後も苦しむ人々へのメンタルヘルスケアは重要なため、アメリカで実際に行われているメンタルヘルスケアを見学し、今後自分が看護師になったときに参考になるものを得たいと思っています。
私の狭い視野を広げそこから改めて日本や被災地を見つめ、新しい発見や気づかなかった良さや改善点を見い出し、働きかけていきたいと考えています。


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佐藤 美輝子

(さとう みきこ)さん 24歳
所属:宮城大学看護学部看護学科4年
地域:宮城県仙台市

私は宮城大学で看護医療を学び、震災を経験する中で、将来は災害看護に関わりたいと考えています。震災直後はライフラインが途絶え、毎日の生活も大切な人の安否確認もままならない状態でした。そして、2週間後の一通の電話で初めて父が泣き崩れる姿を見ました。その光景は私の脳裏に焼き付き、一生忘れることができません。ずっと心配していた祖母が亡くなったという連絡でした。私は、初めて明日があることが当然だということが覆された瞬間となりました。
この経験を通して、「自分のやりたいことは先延ばしにせず行動に移すことや、今、全力を尽くすことが大切だ」と感じるようになりました。あれからもう4年が経ちますが、祖父は仮設住宅に一人で暮らしています。専門職である保健師や看護師が地域に出向き、祖父を含めた被災者へ直接啓蒙運動を行う様子を見て、現在看護学生として看護を学んでいる身として、災害看護や地域看護について学びたいと感じるようになりました。コミュニティを管理する県や市町村の機能が破壊したため、自治体の職員を含めた人と人とのつながりや、役所が学校などの機関間のつながりが大切だと痛感しました。ですから、災害看護研修が行われる米国で、災害から復興したコミュニティへの訪問などのプログラムにとても魅力を感じています。地域のつながりを強化し、お互いを支えあえるように医療者としてどのように関わっていくと良いのかを考えて取り組んでいきたいと思います。
将来は東北の発展を災害復興のモデルケースとして他の地域や海外にも紹介できるように看護師として復興に一生懸命取り組みたいと考えています。このように、長期的な視野を持ちながら研修に臨みます。


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菅原 麻里菜

(すがわら まりな)さん 20歳
所属:仙台青葉学院短期大学3年
地域:宮城県仙台市

東日本大震災が起きた頃は高校1年生でした。看護学校に入学し、2年生になり各分野を専門的に学んでいく中で保健師として震災後避難所へ赴き保健活動を行った方のお話を聞く機会があり、住民との繋がりを大切にする地域に根差した活動を展開する保健師と災害看護に強い興味を持つようになりました。その際、看護をする私たちも被災者であることを忘れてはならないということも教えていただきました。

私は将来看護職に就いて慣れ親しんだ“ふるさと”である福島で仕事をしたいと思っていますが、原子力発電所の放射線に対する不安が入り交り、どうしても踏み切れない事実があり、公園や学校、駅のいたるところで放射線の測定器を目にするたびにまだ終わっていないのだという気持ちになります。震災によりこころの問題を抱えるようになった人も数多くいます。そうした不安な気持ちをなかなか表出できずにため込んでしまうということは自身の健康を害することにもつながっていくのではないかと考えました。それを防ぐために私たちにできることはいったい何なのでしょうか。看護をする上で大切とされている“人対人の精神”を大切にしながらその人と向き合い、関わっていくことは何よりも大切なことだと信じています。

このプログラムに参加して災害看護についての学びや考えをより深いものとし、自分のものだけにするのではなく周りの方々にも伝え、対象の方々のニーズを把握しながらその人に合った行動がとれるようになりたいです。


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藤沢 爽風

(ふじさわ そよか)さん 21歳
所属:宮城大学看護学部看護学科4年
地域:宮城県仙台市

人は皆それぞれで、年齢が異なれば経験値も考え方も異なります。また、国や文化の違いでも同様のことが言えます。しかし、「死を覚悟する」ことを経験したことのある人はそれほど多くはいません。これは貴重な経験であり、同じことを繰り返さないために災害への普及啓発と自らの経験を伝える必要があります。そして、東日本大震災の経験から伝えたいことは、地域コミュニティ形成の大切さです。
東日本大震災の時、友人の13階にあるマンションにいたら激しい揺れに襲われ、人生で初めて死を覚悟しました。「上と下の階に潰されて、死んでしまうのだ」と思いました。余震の恐怖と戦っていた時に管理人が、「外に出なさい」と階段を駆け上がり呼びに来てくださいました。今回の大震災では、津波で多くの方が命を落としました。地域で呼びかけ、全員で力を合わせ逃げていたらもう少し助かったかもしれない、という思いが私にはあります。震災当日は、自宅に帰れず消防署に一泊したが自宅近くの海に「200~300人の遺体」との言葉をラジオから聞き、家族とも連絡が取れなかったときには、「家族全員の死」をその時覚悟しました。このような「自他共に死を覚悟する」思いを多くの人に抱いてほしくありません。だから私は、この災害看護プログラムに参加し日本のやり方だけでなく国際的な災害に対する考え方を身につけ、今後国際的にどのように災害と向き合っていくべきなのかを考えたいと強く思いました。
将来は、宮城県で保健師として経験を積みその後は青年海外協力隊として活躍したいと考えています。プログラムに参加することにより国際的な立場で災害看護と地域看護の学びを深めることができると確信しています。私は被災した地域で保健師として働くことに意義があると考えていて、国際の場で震災のことを話す際自らの経験と併せて震災後の被災地と被災者の心・身体の現状を伝えることができると考えています。


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星 いくみ

(ほし いくみ)さん 19歳
所属:仙台徳州看護専門学校
地域:宮城県仙台市

東日本大震災を経験して災害看護に携わりたいと強く思いました。四年前になりますが、私はあの日のことを鮮明に覚えています。震災発生から数日間は、自分の町の状態しか分かりませんでしたが、後々、新聞で伝えられる写真やラジオで流れるニュースでこの震災の大きさを知りました。
数か月経ち、震災に関連した特集番組が多く流れ始め、そこで目に留まったのは、命を救おうと懸命に働いている医師や看護師、自衛隊の方々の姿でした。他にも、私たちの知らないところで海外からのボランティアが多く来てくれていたと知り、震災中でもきちんとした生活が送れたのはこのような方々がいたからだと気づき、私も災害時には、最前線で看護師として支えたいと強く憧れを抱いたと同時に、実際に自分が震災を経験したからこそ、少しでも、被災した方々の心に寄り添った看護をさせていただけるのではないかと思いました。
私は災害が発生した時には、国内外関わらず最前線に赴き、人命救助に携わりたいと思っています。そのために、いま、多くのことを学び、吸収することだと考えました。アメリカの災害医療・看護をこの目で見て学びたいと強く思いました。


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三浦 万里

(みうら まり)さん 20歳
所属:国立病院機構仙台医療センター附属仙台看護助産学校
地域:宮城県仙台市

私は将来、国際的に活躍する助産師になることを志します。2011年3月に東日本大震災という恐ろしい災害が発生し、ライフラインが途絶えて、寒さに震えながら真っ暗な中で家族と身を寄せ合って眠ったことは今も鮮明に覚えています。やっとテレビが映るようになって、目に入ってきたのは恐ろしい津波の映像と、変わり果てた沿岸の町の姿でした。
人々は不安や恐怖ややり場のない怒りを抱えながら、避難所で打ちひしがれている様子が報道されていました。何も助けになれない自分自身に無力感を感じ、自分にも何できることをやりたいと考えるようになりました。
そんな中で、あるテレビ番組の報道で、震災の日に生まれた新しい命と、それを支えた助産師についての内容が取り挙げられていました。分娩時という緊張感要する場面で、分娩時の器具が倒れないように抑えながら、産婦と赤ちゃんの命を守った助産師の姿に、強く胸を打たれました。また、他にもさまざまな避難所を回って、妊婦に保健指導や衛生面のケア、赤ちゃんのいる家族に物品の工夫を伝えたりしている様子を見て、災害時にも守るべき新しい命はあるのだと気づきました。災害時にこそ医療の力が問われるのだと思いました。助産師としてエキスパートとして、自分の持てる力を最大限発揮したいと考えています。そのためには日本の災害看護を内側からだけでなく、海外の進んだ分野からの学びを通して見つめ、広い視野を持てるようになりたいと考えています。
将来的には国際的に助産師として働き、身につけたことを地域の人たちに還元していきたいです。


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宮川 菜津美

(みやかわ なつみ)さん 19歳
所属:石巻赤十字看護専門学科2年
地域:宮城県石巻市

東日本大震災の時は、家族は無事だったが、兄は人工呼吸器で生きているので、父と母は電気を求めて走り回った。避難所は卒業したばかりの中学校だった為、私は避難所でできることをひたすら行いました。「ここをいちばんよく知っているのは私たちなんだ。」と同級生の仲間たちと活動しました。水を運んだり、トイレの掃除もしましたし、笑顔で食事を配り、おじいちゃんおばあちゃんに寄り添いました。「自分だけじゃない。今はみんなが被災者なんだ。」ということがいろんな人の背中を押したのだと思います。思いは繋がっていくものです。伝える気持ちと受け取る気持ちがあれば、言葉が通じなかったとしても感じることはできます。今度は私が誰かの応援に行き、支えたいと強く思いました。
この災害看護研修プログラムの経験は、みんなのものであると思います。みんなの代表としていくだけで、学びを次に“繋げる”力が必要です。今はまだ、私の目の前で起きた震災のことやメディアで大きく取り上げられた震災のことしか分からないけれど、勉強してより多くの人の思いを感じて、日本だけでなく、世界の人に届けたいと思います。不幸や不運を謳うのではなく、思いを伝えたいと思います。さらに将来、赤十字で看護師として働くのか、JICAとして発展途上国の人を支えに行くのか、子供たちに健康を伝える仕事に就くのかまだはっきりしないけれど、今回のプログラムが何かきっかけになることを願っています。
アメリカにいる私と同じ気持ちで交流を図ろうと思ってくれている人たちと時間を共有し、経験を共有し、平和や幸せを祈る気持ちで活動したいです。未来を担い、よりよい世界を目指す1人として、できることを探し、アクションを起こしていける人間になりたいです。